世の中、何の不満もなく生きていける人って少ないんでしょうね。
時々、友人に遭うことがありますが、ひたすら仕事の愚痴を言ってます。
そんなに文句があるなら辞めりゃあいいのに。
で、さっさと辞めたら?というと、”今度はどうやって生活していくねん!”と。
”別の仕事見つけたらええのと違う?”
”その別の仕事が今よりイイとは限らんだろ!”
”じゃあ今のところで我慢しろ!”
とまあ、こう言うヤツは常に何かに付け愚痴を言うしか能がない。
気の利いた面白い話の一つでもして欲しいんですが、そういう余裕も無くなってます。
愚痴って言えば言うほど幸せが逃げます。
愚痴っても何も解決しないんですよね。
それならそうと自分で何とかすりゃイイものを、ワザワザ人に聞かせる。
聞化される方は堪ったもんぢゃない。
とか言いながら、私もこの記事で愚痴っております。(笑)
年を重ねるとやはり”死”と言うものを徐々に意識し始めます。
で、よく聞くのが、”死んだらどうなるのか?”
宗教なんかでは死後の世界があって、それはあーだこーだと語られています。
意外に共通しているのが、死んだら(肉体が滅んだら)意識とか精神が残って、その後の生活がある的なコト。
ただ、何故か肉体ありき的な語られ方をしています。
地獄は苦痛で天国は楽。
そもそも、肉体もないのに苦痛なんか有るはずがない。
精神的苦痛という言葉もありますが、それも肉体ありきの話。
精神的に疲れたとかしんどいというのは結局は身体(肉体)の事なんですよね。
天国は明るい光に満ち溢れ・・・・・
光とは視覚、肉体ありきの話ですな結局。
こう見えても、性書だけぢゃなく聖書も読破しました。
内容はあんまり覚えてませんが、人間観察的な面白さがあって、あらゆる人間模様が語り尽くされている感ぢですね。
ただ、一応仏教徒(浄土宗)ですからそれ以上は踏み込まないようにしました。