肩を脱臼してから1週間が経過しました。
背中が痒い時に痛くて腕が届かづ掻きづらい事の他に生活に支障は無いデス。(笑)
ただ、肩の脱臼はクセになり易いので、今後は気を付けなくちゃダメですね。
ソレでも、年を取るとタダでも身体に不調が出てきます。
気にすることが年々増えていくんです。
更に後、何年健康に生きられるか?
とかネガティブな事を考えるようになります。
人間っていつか死にます。
「死」は生き物にとって究極の「終わり」です。
生あるものは、死ぬことに怯え、恐れ、避けようとしますが、時間の長短はあれど誰もが必づ迎えます。
もう一つ、「死」は究極の「罰」でもあります。
法の上では極刑と言う罰であり、法の外でも「テメーには死んでもらう!」と言って殺されたりするのも勝手な解釈ながら罰です。
とまあ、死ねばそこで全てがエンドと言う事。
旧約聖書にも人の死についての記述がいっぱい出てきます。
人類最初の殺人は兄弟殺しでした。
有名なカイン(ケイン)とアベルの話です。
この話は結構理不尽でして、神が弟のアベルを贔屓した為に、ソレに嫉妬したカインがアベルを殺します。
何故そうなったのか、この辺りの理由が聖書内で詳しく語られていない為、聖書の研究家たちの間で未だに議論されています。
他にも神のお告げに従わなかった人間が神に殺されたり、堕落した街が神の怒りで滅ぼされたり・・・・
神って、結構感情的ですナ。(笑)
そう言うのを見ていると「神」は安っぽい存在にしか思えないデス。
「死」が無ければ宗教は存在しないでしょうし、ソレを恐れる事の無い世の中はグタグタになります。
宗教にとって「死」は究極の商品。
ソレに付加価値を付けるのが宗教の手腕。(笑)
悪いことをすれば地獄に落ちるとか、助かりたければ入信しなさいと勧める。
ちょっと見方を変えれば、「自分は助かりたい」という単なるエゴです。( ̄ー ̄)ニヤリ
私自身、死んだ後どうなるのか判りませんが、宗教上の天国や極楽には殆どの人が行けないと思いますよ。
なにせ、「審査」がキビシイですから。(笑)
ただ、人間にとって、究極であり最も重要なモノが「死」なんだと解釈してます。
なんか、重い話になってしまいましたが、よくわからない事を更に難しく考えるのは時間の無駄だと。
んっ?
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